広島電鉄 花火電車 運転



広島電鉄は、「サマーラッピング電車」第1弾として、「花火電車」を運転。運転開始日は、2020年7月20日(月)。同日午後より8月上旬まで運転。運転区間は、1号線(広島駅~紙屋町東~広島港間)、3号線(広電西広島~紙屋町西~広島港間)、5号線(広島駅~比治山下~広島港間)、7号線(横川駅~紙屋町西~広電本社前間)など。使用車両は、グリーンムーバーLEX(1017号)。同車両による「七夕電車」のデザインを一部変更し、花火のデザインを追加。

日本一美しすぎる⁉︎絶景の角島大橋

角島大橋(つのしまおおはし)は、山口県下関市豊北町神田と同市豊北町角島間の海士ヶ瀬戸に架かる橋。

1993年(平成5年)9月6日に着工し、2000年(平成12年)11月3日に開通した。総工費149億円。山口県道276号角島神田線の一部。かつて、角島へは渡船による交通が主であったが、完成により陸路でつながった。当初は(県道ではなく)豊北町道として建設された(過疎代行道路整備事業として山口県が発注)こともあり、道路構造令の第三種第四級で設計が行われた。このため、最高速度は40 km/hに制限

日本で最も美しい場所31に選ばれた⁉︎絶景の元乃隅稲成神社

連日大渋滞の元乃隅稲荷神社ではありますが神秘のパワーを頂きにお参りするのも良いですね

昭和30年に地域の網元であった岡村斉(おかむらひとし)さんの枕元に白狐が現れ、「これまで漁をしてこられたのは誰のおかげか。」と過去からの関わりを詳細に述べた後、「吾をこの地に鎮祭せよ。」というお告げがあったことにより建てられた神社です。

商売繁盛、大漁、海上安全は元より、良縁、子宝、開運厄除、福徳円満、交通安全、学業成就、願望成就の大神です。

神社敷地内にある高さ約6mの大鳥居の上部には賽銭箱が設置されており、見事、賽銭を投げ入れることができたら願い事が叶うと言われています。

入場・入館・拝観

開館時間 日の出から日没まで ※夜間の立入・撮影は禁止

龍宮の潮吹交流施設(元乃隅売店)10:00〜17:00(イベントによって変更有)

お問い合わせ

一般社団法人 長門市観光コンベンション協会

TEL : 0837-26-0708(神社現地の電話番号ではありませんのでご注意ください) 龍宮の潮吹交流施設 0837-33-1011

明石の卵焼きとは?たこ焼き?

明石の明石焼は玉子焼(たまごやき)と呼ばれ、鶏卵、浮粉(うきこ)や沈粉(じんこ)と呼ばれる粉、小麦粉、タコを材料に調製される軽食で、兵庫県明石市の郷土料理である。地元の明石市および東播磨(特に加古川市、高砂市、播磨町、稲美町)、神戸市西部(西区、垂水区、須磨区など)以外の地域では、卵を調理した卵焼きと区別するため、明石焼(あかしやき)と呼ばれることが多い。

昭和の風レトロな赤湯の千代田温泉は食事も宿泊も可!一度行ってみんしゃい!

単純弱放射能泉の茶褐色の湯が地元では赤湯と呼ばれ、古くから湯治場として親しまれている温泉。神経痛、高血圧症、婦人病などに効能があるとされる。非常に安価な料金も魅力でビジネスでの宿泊利用も多い。

広島県山県郡北広島町南方4796

0826-72-2280

営業時間/7:30~20:00(最終19:30)

休業日/お盆、年末年始

日帰り入浴:大人350円~、小学生200円~、幼児100円~

宿泊/3000円~(1泊2食)駐車場あり

金持神社は金運祈願・開運祈願

天之常立尊(あめのとこたちのみこと)、八束水臣津努命(やつかみずおみずぬのみこと)、淤美豆奴命(おみずぬのみおと) を御祭神とし、国土経営、開運、国造りの神様をお祀りしています。古くはこの地の豪族、金持景藤は、1333年、隠岐を脱出された後醍醐天皇を奉じて討幕の軍に参加し大活躍しました。その際、金持神社に必勝祈願し、神前の戸帳を御旗にしたと伝えられています。

開運伝説もある金持神社には多くの参拝客が訪れます。中には参拝し商売がうまくいった、ロトが当たったなどの開運話があるそうです。金運祈願・開運祈願で有名になった今は、人気のスポットになっています。
金持神社札所
お財布や縁起のよい扇子等の開運グッズや「オシドリ」の愛らしいグッズを取り扱っています。「オシドリ」は、鳥取県鳥で、金持神社から車で約5分程の場所にオシドリ観察小屋があります。
由来
810年出雲の神官の次男が、伊勢神宮参拝のためこの地を通りかかったところ、お守りとして身につけていた神前の根付の玉石が急に重くなりました。そして、この地に宮造りするよう神夢があったので、宮造りしたと伝えられています。
金持郷は、昔、黄金より勝ると言われた「玉鋼」の産地で、原料の真砂鉄が採れる谷を多く所有し、金具の文字で表されているように、鉄(てつ)のことを金(かね)と読んでいた事から、金の採れる谷を多く持つ郷「金持」と呼ばれるようになったと伝えられています。
境内の銘木
金持神社境内には、鳥取県銘木100選中、サワラ、チャンチンの2本があり樹齢600年位と云われています。サワラは神社の遷宮の際に屋根のコワ材として利用するために植えられたものと考えられています。チャンチンはセンダン科の薬木で、実は目薬に用い、先人が鉄生産の予防薬として、中国より取り寄せたものと考えられています。 県内では、このチャンチンの木、1本しか確認されていません。
金持姓のルーツ
日本で一番景気の良い名字の「金持」。その金持姓のもとになった地名がこの地です。歴史は古く鎌倉幕府御家人、金持広親は1205年から守護職として、この伯耆の国を治め、鉄器製造が盛んである地域にふさわしく、国宝・太刀「童子切安綱」で知られる日本最古の刀匠、伯耆安綱を輩出しています。「吾妻鏡」などにも記載のある由緒ある名字の「金持」。全国の「金持さん」、自分のルーツを探しにぜひこの地へ。
金持景藤公が必勝祈願
この地の豪族、金持景藤は、1333年、隠岐を脱出された後醍醐天皇を奉じて討幕の軍に参加し大活躍しました。その際、金持神社に必勝祈願し、神前の戸帳を御旗にしたと伝えられています。京都への遷幸の折には、天皇の右側に名和長年公・左側が金持景藤公で「錦の御旗」を持ち上洛しました。金持大和守景藤公のお墓と伝えられている宝篋印塔が金持地内に現在も残っています。
開 運 伝 説
「長谷部信連公の再起」 平家物語や源平盛衰記など多くの古書で快男児としてうたわれている長谷部信連公。1180年、後白河法皇の第二皇子の平氏追討計画が事前に発覚、信連公は密かに皇子を宮殿から脱出させ、孤軍奮闘しました。そのため七年間、金持郷に流刑の身となりました。その間に日野町にとって大切な延暦寺、長楽寺、祇園神社などを残しています。平氏滅亡後、源頼朝御家人七人衆の一人として、安芸国宮島の検非違使、能登国の地頭職として山中温泉の発掘等を手がけ、のちに加賀百万石前田家の筆頭家老職(穴水城主)として明治まで続く長氏の始祖となりました。